リンネットWebサイトで、新企画がスタートしました。
リンパ浮腫と共に生きる仲間のリアルボイス。ぜひお読みください。
リンネットなかまの声 Voice #001
リンパ浮腫とわかるまで。
リンパ浮腫と診断されてからの治療やケア。
リンパ浮腫との向き合い方。
「みんな、どうしているの?」
このコーナーでは、リンパ浮腫とともに生きる「仲間」のリアルボイスをお届けしていきます。
第1回目は、リンネットのサポートスタッフでもある佐藤薫さんです。
なかまの声では、個人の考えや想いを尊重し、インタビューを元にそのまま掲載しています。
リンネットが特定の治療法や物品を推奨するものではありません。
ご自身の治療は、主治医や医療者とよく相談して決めるようにしてください。
上肢リンパ浮腫
東京都在住。
2013年、左乳房にステージⅡの乳がん判明。
乳房温存術と同時にリンパ節郭清を受ける。
放射線、抗がん剤、分子標的薬を経て2015年7月治療修了。
同年8月リンパ浮腫発症。
ぼやきながら、笑いながら・・・リンパ浮腫でも自分らしく生きる
やっと乳がん患者から卒業したと思った矢先、一生つきあっていく病名がついてしまった……
リンパ浮腫に気づいたきっかけを教えてください
乳がんの術後1年半を過ぎたころから、腋下リンパ節を郭清した左側の腕が重だるく、太くなったと感じ始めました。ただ最初は「リンパ浮腫」と結びつかず、何日も症状が続いてやっと「これ、退院時に説明があったリンパ浮腫?」と思いました。
その後、パジャマや下着の跡が左上半身だけに残っていることに気づき、私のなかで疑惑は確信へと変わりました。
リンパ浮腫と診断が確定されるまでの経緯は?
さっそく腫瘍内科の主治医に相談したところ、「おそらくリンパ浮腫だと思う。専門医に確定診断してもらいましょう」ということで、リンパ浮腫専門のAクリニックに紹介状を書いてもらい、受診しました。案の定、リンパ浮腫と診断されましたが、私には診断結果よりも「いったん発症すると完治はない」という医師の言葉がショックでした。リンパ浮腫が治らない病気だと知らなかったんです。
乳がんの治療が終わってから数か月しかたっておらず、「やっと病人を卒業できた」と達成感を味わっていた矢先に、新たな病名の患者になってしまった。しかも今度は一生つきあっていかなければならないなんて、と暗澹(あんたん)たる気持ちになりました。ただ、軽度だったので、腕の不快感にうんざりしながら、いつも通りに仕事もしていました。
腕の太さの左右差が目立ち、ハワイアンシンガーなのに大好きなノースリーブの衣装が着られなくなってしまったことが何より辛かったです。
2つのリンパ浮腫専門クリニックを受診しているそうですね
じつは、Aクリニックの次の予約が2か月先しかとれず、ネットで検索したBクリニックも受診しました。通ってみるとA、Bのクリニックそれぞれに良さがあり、気の合うセラピストさんにも出会え、結局一か所に絞れず。自由診療ということもあり、両方のクリニックの了承を得て、かけもちで「用手的リンパドレナージ (MLD)」治療を開始しました。
リンパ浮腫は、専門の医療施設も医療者も限られているので、私は「いいとこ取り治療」で行こうと決めたのです。
Bクリニックでは医師が初診時に図解なども使って丁寧にリンパ浮腫の説明をしてくださるのですが、その時の説明が私の知識のベースになっていて、いただいた資料は今もことあるごとに読み返しています。
リンパ浮腫ストーリー 第二章の幕開け
蜂窩織炎(ほうかしきえん)がリンパ浮腫への意識を変えたそうですね
はい。毎日スリーブを付ける以外は普通に生活していた私の意識がガラリと変わったのは、2016 年8月に初めて発症した「蜂窩織炎」です。リンパ浮腫の悪化で炎症が起こることは聞いていましたが、ハワイアンは春から夏が忙しく、ステージが続いていたので左腕が悲鳴を上げたのでしょう。腕が赤く腫れた上に発疹も。さらに熱も出て、尋常ではない状態。
すぐBクリニックを受診し、抗生物質を服用し安静にしていたら1週間ほどで軽減しましたが、今後もこれと付き合っていくのかと思うとガックリ。この日を皮切りに、私のリンパ浮腫ストーリーの第二章が始まりました。
医師からは「蜂窩織炎は、重症化させないことが大切」と指導を受けました。怪しいな、と思ったら冷やす、早めに薬を飲む、休む、などすぐに対策を取るようにしています。それから5年間で20回は蜂窩織炎になりましたが、入院するほど重症化はしていません。
薬に頼るのも本意ではありませんが、これも受け入れなくてはならない現実です。
LVA(外科療法・リンパ管静脈吻合術)の手術を受けたそうですね
初めての蜂窩織炎から2年目に、Aクリニックから提案があり、LVA 手術を受けました。
そのころメインで通っていたBクリニックは外科的手術を勧めない方針で、そんな手術があることを初めて知りました。Aの提携病院の医師を紹介してもらい、検査をしたところ、私の症状は LVA による改善効果が期待できるだろうとの診断が出たので、思い切って受けました。
私が受けた病院は日帰り手術が可能で、数日後には通常の生活に戻ることができました。
LVA の術後の状態はいかがでしたか?
私には劇的な効果があったようで、術後から1年間、スリーブを時々装着する以外は、腕の左右差もほとんどなくなり、ノースリーブも復活。発症前と同じ生活をおくることができました。ただ1年後の2020年の春、蜂窩織炎が再発してしまいました。LVA は完治のための治療ではないことは分かっていましたが、すっかり治った気分になっていたので、また前の生活に戻るのかと、かなり落胆したことを覚えています。
あくまで私の場合ですが、LVA によって炎症(蜂窩織炎)の頻度や重症度が減ったように感じています。コロナが落ち着いたら、再度 LVA をトライするべきかを医師に相談しようと思っています。
浮腫のケアをファッションとして楽しむ 「リンパディーバス」との出会い。
華やかな弾性スリーブを愛用しているそうですね
はい。リンパ浮腫と診断がついて、すぐに出会った「リンパディーバス」というアメリカの医療用弾性スリーブを愛用しています。弾性スリーブというと多くは肌色ですが、リンパディーバスは、華やかな色や柄が揃っていて、初めてカタログで見た瞬間、「これだ !!」と思いました。何種類も取り寄せて、その日のファッションにコーディネイトして楽しんでいます。
リンパ浮腫の腕を「隠そう」という意識が働きがちですが、一生付き合っていくのなら、ずっと隠して生きるというのは私には無理。ならばいっそ、ファッションとして見せてしまおうと(笑)。こういうのもあるんだよ、と選択肢として知ってもらえたらいいなと思っています。
「だって仕方がないじゃない」の精神で自分の人生を生きる
リンパ浮腫とともに生きる日々、どのように心の折り合いをつけていますか?
リンパ浮腫が判明した時は「やっと長くハードながん治療が終わり、命が助かったと思ったら、今度は完治しない後遺症ですか。私にはまだ試練が必要なのですか?」と天を仰いで問いかけたい気持ちでした。リンパ浮腫を抱えて生きる日々は、晴れでもどこかにいつも曇りがある感じです。明るくポジティブな私も、「ああ、本当もういやになっちゃう!」と落ち込む私も、どちらも真実です。
同じ悩みをもつ仲間と「リンパ浮腫あるある話」をするのは、良いガス抜きになります。
最初は孤独でしたが患者会などに参加し、仲間ができました。自分だけじゃない。気持ちが分かり合える人とつながることは、すごく大事ですね。
メンタル面では、リンパ浮腫というハンディが理由で「(行動に)制限がかかるのは仕方がない」と、だいぶ割り切れるようになりました。仕方がないという言葉は、ネガティブな意味だけじゃなかったんです。加齢を理由に開き直ることがあるように、何かを諦める気楽さを知ったというか。自分では変えられないことを「だって、仕方がないじゃない」と言ってやり過ごす。それに、ハンディと引き換えに視野がメチャクチャ広がり、人生後半が面白くなってきたんです。
ぼやきながら、笑いながら、おしゃれも諦めないで、仕事ややりたいことを選んで、楽しく生きる。私は、リンパ浮腫を抱えながら、これからもステージで、大好きなハワイの歌を歌っていくことでしょう。
定期的にクリニックでリンパドレナージマッサージを受ける。
日中はスリーブ、夜はセルフマッサージをときどき。就寝中にエアボ・ウェーブ(補助用スリーブ)を装着することも。
運動は週一のフラレッスン、同じく週一のパーソナルトレーニング、ウォーキングなど。体重コントロールは常に気にかけています。
(聞き手・山崎多賀子)